STS考察ノート

科学技術社会論についての学習メモ

科学的合理さと感覚的な正しさ

 


科学的に正しくないものは、世の中にたくさんある。

例として代替治療(alternative medicine)の内の鍼治療(acupuncture)を挙げる。
鍼治療は、中国医学の代表的な治療法の一つであり、針を経穴(いわゆるツボ)に刺して気の流れを制御して、病気を治す技術である。
そしてこの背景には、陰陽五行説と呼ばれる、「人間の健康は陰の『気』と陽の『気』のバランスが保たれることで生じており、どちらかが増えすぎても減りすぎても体調を崩すことになる」といった内容の基礎理論がある。

では、この「気」のようなものが存在するかと言われれば、解剖学的には一切発見されていない。つまり、正統派の医学からすれば、陰陽五行説に基づいている鍼治療は受け入れられない治療法なのである。代替治療は、このように正統な医学の観点に反する治療法がほとんどである。

けれども、鍼治療が社会的に制限されているかと言われればそんなことはない。整体に行けば鍼治療は受けられるし、効果がないわけでもない。科学的には正しくなくても、私たちは鍼治療を利用することができる。また症状によっては、普通に病院に行って治療してもらうより、鍼治療の方が安上がりで済む場合もあるかもしれない。

他にも代替治療にはヨガやマッサージなど、馴染みのあるものが多い。

生活レベルで、私たちは科学的ではないものを受け入れている。

 

 

似たようなことを、よりスケールの大きい政策レベルで考えてみる。「科学的に合理的ではないものは、政策的に推進すべきではない」という主張が仮にあった場合、それは本当だろうか。

ここでは水俣病を例に考える。

水俣病は、熊本県水俣市にあった「チッソ」という企業が排出していた有機水銀廃液が原因で生じた公害病である。この廃液が水俣湾の魚の体に蓄積して、それを食べる漁民の体に水銀が蓄積して、水俣病を引き起こした、とされている。

水俣病が発見されたのは1956年である。
当時、チッソの工場から排出される廃液が原因であろうことはすぐに疑われたが、廃液と水俣病の因果関係は、水俣病が発見されてから12年後の1968年にようやく政府によって認定されることになる。

1959年には、「水俣病の原因は(チッソ水俣工場が排出する)有機水銀である」とする有機水銀説が熊本大学の研究班によってかろうじて提唱されたが、それ以前は「チッソ水俣工場の廃液が水俣病の原因である」と断定できるまでの証拠はなかった。
有機水銀説が出た後、泥や人体から有機水銀が検出されたために仮説は検証されたが、それが他の仮説を退けるほど強い検証ではなかったために、翌年にアミン説などが提唱されるのを許す結果となった。そのため、有機水銀説が提唱された時点では「水俣病の原因は不明」という立場が科学的にはより合理的であった。
つまり、1959年、またそれ以前に、もし政府がチッソ水俣工場を水俣病の原因と断定して操業の停止を命じていたら、当時の基準で言えば「科学的根拠」に基づかずに、科学的に合理的でない判断を下したということになる。

だが、いくら科学的に根拠が弱かったとしても、政府がそれで何もしなかったせいでより多くの人命が失われることになった。また、一般的な感覚で見れば、チッソの廃液が水俣病を引き起こしているように見えるのは明らかであった。ならば、政府は科学者にとって妥当な科学的合理性よりも、人々にとって妥当な社会的合理性を優先すべきだったのではないか。水俣病はこのことを教訓として残した事例であると言える。

 

 

代替医療を、この政策的な話に絡めるとどうなるか。

代替医療を医療政策の面で社会的に是認することは、正統な科学に基づいた医学の重要性を相対的に低くしたり、効果が実証されていない治療法が蔓延して本当に効果のある治療法が遅れてしまうことで測り知れない社会的損失を招いたりするかもしれない。
しかし、プラシーボ効果だろうが何だろうが、万が一治る可能性があるなら、他の治療手段が尽きた患者に非正統な治療を試すのは結果として患者の命を救うかもしれない。
要するに一長一短であり、決して蔑ろにされるべきではないものであると言えよう。

 


以上まとめると、物事の判断において大事なことは、科学的な(広く言えば知的な)合理性が保たれた穏健な立場に固執するのではなく、私たちが感覚的に正しいと考えるものも判断基準として、それらの中でうまくバランスをとることだと考える。

 

 

 

参考資料
水俣病の発生とその原因 - 水俣病資料館
http://www.minamata195651.jp/pdf/kyoukun_2007/kyoukun04.pdf